西暦カレンダーの元となったのは古代エジプトの暦と古代ローマの暦です。
古代エジプトですでにほぼ現代と変わらぬ正確な数値に基づいて行われていた暦法が古代ローマに受け継がれ、1ヶ月の日数や閏年の入れ方なども決まって今の西暦(グレゴリオ暦)につながります。
エジプト太陽暦─────┐
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ローマ暦──┴ユリウス暦───グレゴリオ暦
太陰暦とエジプト暦
メソポタミア(バビロニア)、インド、中国、古代ギリシアなど世界中で考えられた古代の暦はいちばん最初はほとんどがすべて、目で見てわかりやすい月の満ち欠けによる陰暦(太陰暦)でした。毎日月の形が変わって行き、しばらくたつと元に戻るので日にちの経過を数えるのに便利だったからです。
太陰暦は月の運行(月の形)に基づくカレンダーですが、季節が丸1年たった時に月の形がもとの状態に戻っているわけではありませんので、そのままでは毎年季節とズレていく暦になってしまいます。そこで間もなく太陽の運行(季節)に合わせて暦を修正する工夫がなされるようになります。そのような陰(月)と陽(太陽)両方に依拠するカレンダーは太陰太陽暦(陰陽暦)と呼ばれます。我々がふつう旧暦と言っているものもこれに当たります。
参考:
現在における厳密な意味での陰暦の代表はイスラム(ヒジュラ)暦です。西暦(ユリウス暦)622年7月16日を元年元日とし、1年(12ヶ月)は354日(約3年に1回355日)です。従って季節は毎年11日ほどずれていき、約32年で戻ります。
ちなみに西暦2020年1月1日はヒジュラ暦1441年第5の月の5日に当たります。
(注意:一日は午前0時ではなくその前の日没から始まるとされる。)
エジプトにおいては初めは1年を12ヶ月、1ヶ月を30日、1年を360日とする変則的な太陰暦が使用されていました。
紀元前20世紀以前には、農業と密接に関わる毎年のナイル川の氾濫の周期により、暦の最後に5日の余日を付加して1年を365日とした、今の太陽暦に近いものができました。
その後、恒星シリウスと太陽の関係の観測から、1年が厳密には365.25日であることが知られましたが、暦には閏年を設けませんでしたので、季節とはだんだんずれていきました。人々は祭事にはこの暦を使いましたが農業は太陽の運行に従いました。
4年に一度の閏年を設けることも考案されましたが、一般に実施されたのは後のユリウス暦においてでした。
古代ギリシアでは太陰太陽暦を採用するようになりましたが、ポリスや地域ごとに異なっており、月の呼称や新年の時期さえも違いました。多くのポリスでは秋冬に新年が訪れましたが、アッティカ暦では夏が新年でした。
ローマ暦と月の名前
ローマ暦は紀元前8世紀ごろから使われたと言われます。1ヶ月が30または31日で10ヶ月(304日)で終了し、農業に関係のない冬をカバーしない変則的な暦でした。
各月の名前です。
Martius:神マルス(Mars)が由来。古いローマ暦では年初の月。農耕を始める時期に王が宣言して新年となったと言われます。現在の3月の時期に当たります。英語Marchの語源。
Aprilis:女神ウェヌス(Venus、ヴィーナス。ギリシア神アプロディーテーに対応する女神)の月。Aprilの語源。
Maius:女神マイア(Maia)より。Mayの語源。
Junius:女神ユーノー(Juno)より。Juneの語源。
Quintilis:ラテン語の「5」より。(後年ユリウス-カエサルの名にちなんでIuliusと改名。Julyの語源。)
Sextilis:ラテン語の「6」より。(後年アウグストゥスの名にちなんでAugustusと改名。Augustの語源。)
September:ラテン語の「7」より。
October:ラテン語の「8」より。
November:ラテン語「9」より。
December:ラテン語「10」
より。元はローマ暦の最後の月。この後は暦のない60日ほどを経てMartiusとなりました。
以上が古いローマ暦の月。
紀元前713にDecemberのあとに以下の月が追加されて1年を12ヶ月でカバーしました。
Ianuaris:神ヤヌス(Janus)より。Januaryの語源。
Februarius:神フェブルウス(Februus)より。Februaryの語源。
1ヶ月が29または31日、最後のFebruariusだけは28日(計355日)。隔年に閏月を設けて季節を合わせました。
紀元前153からは行政上の理由でIanuarisが年初とされ、元日が現在のように冬の時期になりました(参照)。
MartiusからDecemberまでの順番は元々より二つ繰下ったので、現在の9月から12月までの英語名の語源(ラテン語)と月の順番とは二つずれています。
模式図(R1=当初のローマ暦 R2=前713以降 J=ユリウス暦・グレゴリオ暦)(英語表記)
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冬 |
春 |
夏 |
秋 |
冬 |
R1 |
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March |
April |
May |
June |
Quintilis |
Sextilis |
September |
October |
November |
December |
- |
R2 |
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March |
April |
May |
June |
Quintilis |
Sextilis |
September |
October |
November |
December |
January |
February |
J |
January |
February |
March |
April |
May |
June |
July |
August |
September |
October |
November |
December |
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ユリウス暦
紀元前46年にローマのユリウス-カエサルが当時運用が乱れていたローマ暦に代えて、エジプト暦を参考に制定した太陽暦です。当時7番目の月にあたるQuintilisの名がIulius(ユリウス)に改められました。
平年を365日、閏年を366日として4年に1回閏年をおきます。1ヶ月の長さは奇数番目の月を31日、偶数番目の月を30日と定めました。ただし合計日数を365とするために、ローマ暦時代からの慣習で、もと最後の月であったFebruarius(今の2月)を短くし、29日としました。
ところが、実施の段階で間違えて閏年を3年に1回おいたため暦日が3日遅れました。これを直すため後の皇帝アウグスツスは紀元前8年から紀元4年までの置閏を禁じ、紀元8年に閏年を復活しました。
この改正を記念して当時8番目の月にあたるSextilisをAugustus(アウグスツス)と改め、日数を皇帝の名にふさわしく31日とし、代わりに2月から1日削って28日とし、また9月を30日、10月を31日、11月を30日、12月を31日と、現在と同じ形に定めたというのが通説です。
簡単に言えば、現在のグレゴリオ暦との違いは、400年に3回閏年を省くということをしないことです。
キリスト紀元の紀年法
その年を何年とするかの基準を、現在行われているようにキリスト生誕に結びつけたのは525年のことでした。これが現在「西暦」と呼ばれている紀年法ですが、これの実際の普及には10〜15世紀までかかっています。それまでは時々の為政者の治世何年というふうな数え方をしました。
(ちなみに現在の研究ではイエスが生まれたのは紀元前4年頃であったろうといわれています。)
ユリウス暦は各国でそれぞれグレゴリオ暦が普及するまで使われました。
ユリウス暦のカレンダーを参照するにはこちらへ。
グレゴリオ暦
地球が太陽の周りを一回りするのにかかる時間は365.2422日※といわれます。
とすると、1年を365日とするカレンダーでは約4年経つと日付が一つ進み過ぎてしまうことになります。
そこで4年に1回、2月を29日として366日の年(閏年)を設ければ1年の平均が365.25日となり、ずれは随分小さくなります。これがユリウス暦でした。しかしそれでも100年以上経てば1日遅れるずれがでてきます。
※西暦1900年1月1日時点で365.24219878日。僅かずつ短くなりつつある。
そこでさらに精密を期して1年の平均を365.2425日とすれば、つまり400年に平年を303回、閏年を97回とすればより良いカレンダーができます。具体的には、4で割り切れる西暦年を閏年とするが、ただし100で割り切れるが400で割り切れない西暦年は平年とすることにすればよいのです。これでずれは大体3000年余りで1日遅れる程度ぐらいまでに小さくなります。
このようなしくみのカレンダーがグレゴリオ暦です。
いずれこのわずかなずれを解消するために閏年をさらに1回省く必要が出てきます。ひとつ考えられるのは西暦X000年のような切りのいい年を選んで、それを閏年とせずに平年とするやり方です。しかし実際にそれがいつ、どんな形で行われるかは学問的の他に政治的な問題もあって予断を許しません。
グレゴリオ暦は最も早い国でユリウス暦1582年10月4日(木)の翌日を10月15日(金)として始りました。
日付が一気に10日も進められたのは、ユリウス暦325年のキリスト教公会議で3月21を春分とすることが決定された事実がありましたので、それに合致するようそれまでに蓄積していたズレを解消させたのです。
各国のグレゴリオ暦導入のおおよその時期は以下の通りです。各国のそれ以前の記録におけるオリジナルの日付はグレゴリオ暦によるものではないので注意が必要です。(1582以降のユリウス暦のカレンダーを参照するにはこちらへ。)
各国でのグレゴリオ暦導入時期
1582年10月15日 イタリア、スペイン、ポルトガル、ポーランド
1582年12月20日 フランス(1793年11月24日〜1805年12月31日の間中断)
1583年 オランダのカトリック地域、ベルギー
1583年から1587年にかけ ドイツ、スイス、ハンガリーのカトリック地域
1700年 ドイツ、オランダのプロテスタント地域、デンマーク、ノルウェー
1752年 イギリス
1753年 スウェーデン、フィンランド
1783年 アメリカ
1873年 日本 旧暦明治5年12月2日(1872年12月31日)の翌日を1873年(明治6年)1月1日とした。
1875年 エジプト
1912年 中国、アルバニア
1915年 ブルガリア
1918年 ソビエト
1919年 ユーゴスラビア
1924年 ギリシア、ルーマニア
1927年 トルコ
なお、グレゴリオ暦の1月1日は冬至の10日ほど後に当たりますが、これは大元は古いローマ暦からのいきさつによるもので、この日に天文学上の特別な意味があるわけではありません。農作業を始める時期Martiusの2ヶ月前に当たる時期です(参照)。
先発グレゴリオ暦について
大昔の出来事について、それが現在のカレンダーでいうと何月何日に当たるのかを言いたいときには、便宜的にグレゴリオ暦の暦法(閏年の入れ方)が1582年以前の過去にもずっと行われていたと仮定して計算することになります。これを「先発グレゴリオ暦」と呼びます。日本の建国記念の日を2月11日とするのもこれによるものです。
(ユリウス暦から先発グレゴリオ暦への換算法)
うるう秒(閏秒)について
地球が自転で一回転するに要する時間は24時間と言われますが、正確にはわずかずつ変動し続けています。精密な時計で計れば毎日がピッタリ24時間ではないことになります。そしてこの変動が積み重なると、いつかは極端に言えばまだ真夜中前なのに手元の時計は既に午前を示しているということにもなります。
そこで何年かに一回、世界時の1月1日または7月1日の午前0:00直前に1秒間のポーズを追加して、実際の地球の回転と我々の時計が一致するように操作が行われています。手元の時計が電波時計であればその瞬間に自動的に修正が行われますし、またほんの1秒のことなのでほとんどの人は意識する必要がありません。
なお、うるう秒は地球の自転時間に関わる事項なので、公転時間にかかわるカレンダーの暦法とは関係ありません。うるう秒を入れたからといってグレゴリオ暦の誤差が修正されるものではありません。
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