なぜ「風」か

 「風の又三郎」はなぜ「風」の又三郎なのでしょう。「雨」の、でもなければ「雪」の、「霧」の、「雲」の、でもありません。
 「風」というのは空気の密度の差によって引き起こされる現象です。気圧の高い所と低い所が接する場面では空気は穏やかではあり得ません。空気の分子はただひたすらに空隙を求めて走ります。その時には分子の走りようは自らの求める最短、最良の軌跡を取ることを許されることがありません。ただカオスの原理に従って闇雲に見える野性的曲線を描くばかりです。
 そんな「風」の原理が選ばれてこその「風の又三郎」であるのでしょう。三郎と子供たちのそのあわいに発生するものは「風」でなくてはなりませんでした。そしてやはりその三郎の気団と子供たちの気団との前線の風はカオスの曲線を描いたのです。

 風が吹く、とはただ風が吹く側のことのみを意味するのではありません。風が吹くとは、何かが吹かれて初めて言われることです。
 何かが吹かれるとは、圧力を受ける、吹き動かされる、動揺、変形を余儀なくされることを言います。
 
別冊國文學「宮沢賢治必携」(學燈社)では、佐藤義勝氏は「『春と修羅』の表現」(「四次元」昭和43・1 宮沢賢治研究会)で詩集「春と修羅」を調べ、その詩から、「風」が「吹く対象物を変形させる」表現を持つ特色を捉えたと紹介されています。
 「風の又三郎」ではその特色が純化されているのでしょう、その風の歌からもわかるように、「風」は激しく吹き、猛烈に揺さぶります。

 テレビでのある芝居の一場面です。河童沼のそばに住むという少年が漁師の脚を治して去ります。あわててあとを追った女房が外へ出てみると、時ならぬヒューヒュー強い風が吹いてきて木々の枝が大きくゆれます。そしてこの情景だけで女房も観客もテレビの前の私もすぐにああ、少年は河童だったのだなと了解するのです。
 風はこのように何か非日常的なもの、超感覚的なものの「気配」を感じさせるものだと、私たちは理解しています。ところが普段私たちは生活の中で、風が吹いたからといって何かの気配を感じるということがあるでしょうか。自宅の周りとか通勤の途中とか、風は常に吹いていますが、私はそれによって特別なものの気配を感じたということはありません。けだし私は芝居の中という形式的情景に合わせて形式的に理解したにすぎません。
 登山に行って、どこかの山小屋に緊急避難して一人で過ごす夜ならば、風の音に恐ろしい何かを感ずることはあるでしょう。しかし、現代科学文明社会の日常の中では私たちは自然現象の持つ、人間に対する本来の意味を感じる感覚をほぼ失ってしまっています。東北地方の人々が「風の三郎様」の伝承をついこの間まで伝えていたと言われるのはそのような自然の本当の意味を感じる感覚を持ち続けていたということなのでしょう。
 と、このように考えてきて、しかしもう一度思い直してみると私は芝居の場面を見て河童の気配をどうも半分は知識ではなく本当に(ゾーッと)感じたような気がします。小説や映画やのさまざまな記憶がそのように仕向けているだけとは思えなくなってきました。現代社会の私たちにも残されている、本能に関わる部分が何かを感じているのではないでしょうか。
 雨が降っても、雪が降っても、霧が出ても、雷が落ちても、どんな雨カンムリが出てきても風の引き起こす気配に勝るものを感じることはないように思われます。なぜ風がそのような力を持っているのか、簡単に言えば目に見えない透明なものが辺りの物をゆすぶる不思議さから来るといえばいいのでしょうか。雨や雪やいろいろのものは皆そのもの自体の姿を目撃されるのだけれど、風だけは自身を見られるのではなく他を動かす作用のみを目撃される・・・。 しかもそれがどこから来て、どこへと去って行くのかさえも不可知であるような、そんな根源的な不思議の存在が人間の本能の奥底に訴えかけているのだということだけは間違いないように思われます。

     
       
       
       
       
         
       
       
     
     
     
     
     
     
     
       
 
   
     
     
     
     
     
       
       
       
       
     
         
       
       
     
     
     
     
     
     
     
       
     
 
     
     
     
     
     

 

   
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

   尋常小学唱歌

 風よ風
 そもいづちよりいづちふく
 草の上 やぶの中
 岡を過ぎ 谷を過ぎ 鹿も通はぬ 奥山こえて

 風よ風
 そもいづちよりいづち吹く
 池の上 森の中
 村を過ぎ 里を過ぎ 鳥も通はぬ 荒海こえて

 夜はふけぬ
 燈消してねに行けば
 泣くがごと むせぶごと
 戸をたたき まどをうつ 風やうらやむ 我が此のふしど

 夜は明けぬ
 とく起出でて園見れば
 草はふし 木はたふれ
 花は散り 実は落ちぬ 風や荒れけん 夜すがら此処に

 

 

 風  クリスティナ ロゼッティ 西条八十訳

 誰が風を見たでしょう
 僕もあなたも見やしない
 けれど木の葉をふるわせて
 風は通りぬけていく

 誰が風を見たでしょう
 あなたも僕も見やしない
 けれど樹立が頭を下げて
 風は通りすぎていく

 

風が運ぶメッセージ  別役 実  (朝日新聞1989年3月2日)

 「誰が風を見たでしょう」(クリスティナ・ロゼッティ作、西条八十訳)という歌がある。これは「僕もあなたも見やしない」と続き、「けれど木の葉をふるわせて」と転調し、「風は通りぬけてゆく」となるのだ。風というもののありようを見定めるための美しい形式として、覚えておいていいことかもしれない。
 「どっどど、どどうど、どどうど、どどう」という、《風の又三郎》の冒頭から聞こえてくる歌は、もっと奥深いところから、見えるも見えないもなく湧きあがってくるもののように思えるが、にもかかわらず、この谷川のほとりにある小さな村の、一郎や嘉助など子供たちを「木の葉のように」ふるわせ、再び風と共に吹きぬけていったという意味で、やはりこの同じ形式を踏まえたものだと、私には思われる。
 風が、「木の葉のふるえ」によって知られるように、風の又三郎もまた、夏休みあけのほんのひとときを彼と一緒に遊んだ、一郎や嘉助など子供たちの「心のときめき」によってのみ知られるのである。言葉を変えて言うと、この形式さえ踏まえることが出来れば、誰でも風のもたらす智恵を――風の又三郎のメッセージを聞きとることが出来る、ということであろう。
 かつて我々は誰でも谷川のほとりの小さな村に住む子供だった。そこには、冬があって、春があって、夏があって、夏休みあけの秋口、あのいつもの風が吹いていたのである。そしてそれはまた、嵐となってタスカロラ海床を目指して、吹きぬけていったのである。
 風は、吹いてきて、伝え、また吹き抜けてゆく。「伝えられる」ためには、「吹かれるところ」に立たなければならない。そして、「木の葉のようにふるえ」なければならない。もしかしたら《風の又三郎》という作品は、我々をそこに立たせてくれるための、ガイドブックなのである。(劇作家)


 宮沢賢治は「風」をどう見ていたのでしょう。
 彼の遺した「兄妹像手帳」
※1には次の詩があります。

  「わが雲に関心し 風に関心あるは たゞに観念の故のみにはあらず そは新なる人への力 はてしなき力の源なればなり」

 その他の作品より。

  「風からも光る雲からも諸君にはあたらしい力が来る」(「ポラーノの広場」初期形)

  「・・・・・・雲からも風からも/透明な力が/そのこどもに/うつれ・・・・・・」(「あすこの田はねえ」)

  「風とゆききし 雲からエネルギーをとれ」(「農民芸術概論綱要」)

 

 作者が風とどのように交感していたか、その秘密の一端を垣間見ることのできる記述が「サガレンと八月」の冒頭に見られます。

「何の用でここへ来たの、何かしらべに来たの、何かしらべに来たの。」
 西の山地から吹いて来たまだ少しつめたい風が私の見すぼらしい黄いろの上着をぱたぱたかすめながら何べんも何べんも通って行きました。
「おれは内地の農林学校の助手だよ、だから標本を集めに来たんだい。」私はだんだん雲の消えて青ぞらの出て来る空を見ながら、威張ってそう云いましたらもうその風は海の青い暗い波の上に行っていていまの返事も聞かないようあとからあとから別の風が来て勝手に叫んで行きました。
「何の用でここへ来たの、何かしらべに来たの、しらべに来たの、何かしらべに来たの。」
 もう相手にならないと思いながら私はだまって海の方を見ていましたら風は親切に又叫ぶのでした。
「何してるの、何を考えてるの、何か見ているの、何かしらべに来たの。」
 私はそこでとうとうまた言ってしまいました。
「そんなにどんどん行っちまわないでせっかくひとへ物を訊いたらしばらく返事を待っていたらいいじゃないか。」
 けれどもそれもまた風がみんな一語づつ切れ切れに持って行ってしまいました。もうほんとうにだめなやつだ、はなしにもなんにもなったもんじゃない、と私がぷいっと歩き出そうとしたときでした。向うの海が孔雀石いろと暗い藍いろと縞になっているその堺のあたりでどうもすきとおった風どもが波のために少しゆれながらぐるっと集って私からとって行ったきれぎれの語を丁度ぼろぼろになった地図を組み合せる時のように息をこらしてじっと見つめながらいろいろにはぎ合せているのをちらっと私は見ました。
 また私はそこから風どもが送ってよこした安心のような気持も感じて受け取りました。そしたら丁度あしもとの砂に小さな白い貝殻に円い小さな孔があいて落ちているのを見ました。つめたがいにやられたのだな朝からこんないい標本がとれるならひるすぎは十字狐だってとれるにちがいないと私は思いながらそれを拾って雑嚢に入れたのでした。そしたら俄かに波の音が強くなってそれは斯う云ったように聞えました。
「貝殻なんぞ何にするんだ。そんな小さな貝殻なんど何にするんだ、何にするんだ。」
「おれは学校の助手だからさ。」私はついまたつりこまれてどなりました。するとすぐ私の足もとから引いて行った潮水はまた巻き返して波になってさっとしぶきをあげながら又叫びました。
「何にするんだ、何にするんだ、貝殻なんぞ何にするんだ。」
 私はむっとしてしまいました。
「あんまり訳がわからないな、ものと云うものはそんなに何でもかでも何かにしなけぁいけないもんじゃないんだよ。そんなことおれよりおまえたちがもっとよくわかってそうなもんじゃないか。」
 すると波はすこしたじろいだようにからっぽな音をたててからぶつぶつ呟くように答えました。
「おれはまた、おまえたちならきっと何かにしなけぁ済まないものと思ってたんだ。」
 私はどきっとして顔を赤くしてあたりを見まわしました。
 ほんとうにその返事は謙遜な申し訳けのような調子でしたけれども私はまるで立っても居てもいられないように思いました。
 そしてそれっきり浪はもう別のことばで何べんも巻いて来ては砂をたててさびしく濁り、砂を滑らかな鏡のようにして引いて行っては一きれの海藻をただよわせたのです。
 そして、ほんとうに、こんなオホーツク海のなぎさに座って乾いて飛んで来る砂やはまなすのいい匂を送って来る風のきれぎれのものがたりを聴いているとほんとうに不思議な気持がするのでした。それも風が私にはなしたのか私が風にはなしたのかあとはもうさっぱりわかりません。またそれらのはなしが金字の厚い何冊もの百科辞典にあるようなしっかりしたつかまえどこのあるものかそれとも風や波といっしょに次から次と移って消えて行くものかそれも私にはわかりません。ただそこから風や草穂のいい性質があなたがたのこころにうつって見えるならどんなにうれしいかしれません。

 また、童話集「注文の多い料理店」の序も見逃すことは出来ません。

 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。
 ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

 

「風の又三郎」をく風

 「風の又三郎」では、あたりまえといえばあたりまえですが、さまざまな場面で風がいて来ます。ごく自然な普通の風もあるでしょうが、何かを象徴する特異なものもあります。このものがたりではこのようなさまざまな風の持つ意味について掘り下げて考えてみることは特に意義のあることと思われます。直接風を表現するオノマトペは赤字で、それ以外のものは青字で表しました。

9月1日

 どっどどどどうど どどうど どどう、 青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんもふきとばせ どっどどどどうど どどうど どどう
 (この歌はものがたりの前奏曲であって、9月1日の空に吹いている風というわけではなさそうだ。

 風は息をしている。風速や風向が絶えず変化しているのである。
 風の息の程度は風速が大きいほど、また野原よりも森林を吹くときに激しくなる。複雑な摩擦により形成される空気の渦の規模が大きくなるためである。
 どうという音は、風による遠近の葉ずれや気塊(気柱)の共鳴、空気の渦による音などの総合したもの。それがシンコペーションを交えながら方向を変えて行き来している。
 気柱の共鳴については作者の別の童話「おきなぐさ」に記述がある。“大きく口をあくと風が僕のからだをまるで麦酒瓶のようにボウと鳴らして行くくらいですからね。”
 なお、このオノマトペは作者の完全なるオリジナルというわけではない。岩手のわらべ唄からヒントを得たものらしい。
※2

風の歌のロディー

 作者は執筆中に、以前の教え子であった沢里武治氏※3に「どっどど どどうど・・・」の歌の作曲を依頼しています。この作品の冒頭を実際にメロディーの付いた、歌いあげることのできる「歌」で始めたかったようなのです。

 沢里氏はのちに思い出を書き記しています。

 「風の又三郎(賢治の童話)」

    どつどど
      どどうど
        どどうど  どどう
 有名な、風の又三郎主題歌である。これは、まさしく風の音なのだが「これ」を風の音律として朗誦し得る人はあるまい。いや、わたしだけしか知らないだろうということである。
 宮沢賢治先生が、上郷地区の石灰岩を調査するという名目で小生宅を訪ねて下さることの葉書を頂戴したのは昭和5
(ママ)年の或日のことである。その日、わたしは宙を翔ける心地で、軽鉄遠野駅に先生を出迎え、そのまま車中ならぬデツキにならんで立つたのだが、やおら先生は、首につるした例の銀製シヤープペンシルで書いたと思われる主題歌「どつどど」の紙片をわたしにつきつけ、今でもはつきり耳に残つているあの朗朗たる声音で、「どつ」と詠み出されたときには、全くドキツとした。「どどどどう」・・・・・・・・・。
 余りにも強烈な、余りにも鋭い気魄に度肝を抜かれてしまつたのである。何といつたらよいか、全く無我夢中といつてはあたらないし、呆然という表現も彷彿とはしないし・・・・・・・・・。
 「ガツタン ゴツトン」だつたかどうか記憶にないが、何せ軽鉄線仙人峠駅へ向う上り勾配を喘ぎ走るその車輪の騒音をも打ち消して、はつきり耳朶にしみ通る韻律を以て一気に朗誦されるのだつた。
    あアまい果淋
(ママ)も吹きとばせエー。
 さて、本論に入るのだが、これに曲をつけろという御託宣である。つまり、作曲を仰せつかつたのである。わたしは夢中でおしいただいた。さてそれからが、わたしの夢遊彷徨がはじまるのである。或時は森の下(部落名)から猫川の川原(今の上郷小学校校舎から上郷中学校へと続く一帯)の松林をうろつきまわり、又或場合は風の日を選んで新平田(滑田)峠に、風の旋律とそのリズムを捉えようとあせつた。
 然し先生の「どどどうゴゴゴーツ」というあの音調は、風の中から採譜されるようなものではないように思えたものの、何回か、いや何箇月か繰返し探し求め続けた。
 だが、だが所詮わたくしにして成し得る業ではなかつたのである。
 やがてわたしは花巻は豊沢町のお店に先生を訪ねて、もぞもぞと詫びごとを言上に及んだ。先生は黙つては居られたが、大変がつかりされた様子で、しばらくの後静かに稿本風の又三郎開巻第一頁に楽譜風の又三郎を掲載するつもりであつたことを語られ、この上は誰にも作曲は頼まないとつぶやかれた。
 あの時の青白い先生のお顔と、その前に、かしこまつてふるえているわたし自身のあわれな姿は、今もはつきり思い出すことが出来る。(略)

  ―遠野地区校長会会報「いちい」第二号(昭和48・3・20)所収。「校本宮澤賢治全集」第六巻(筑摩書房)の引用より―

 ところで、「宮沢賢治全集7」 (ちくま文庫)の解説(天沢退二郎氏)によると、沢里氏は、この時の紙片には冒頭の部分が

、       
     
     
   
   
   
       

(たてがき)

 という字配りで書いてあったと語っているのです。
 また、岩手在住の宮沢賢治研究家板谷栄城(英紀)氏がNHKラジオで語ったところによりますと、沢里氏が作者の朗読のようすとして再現したのは、息を思い切り吸って勢い良く「ダッダダダダア、 ダダダアダダダア」というものであったといいます。(とすれば、作品の字面から受ける印象以上に激しい風を思い浮かべた方が良いかもしれません。)

 さて、このことがあってのち後悔の念にかられた沢里氏は岩手師範学校専攻科に入って音楽の勉強をやり直すこととなった、とご本人が述懐されています。

 風の歌は作者の亡きあと、映画の中で歌われることになります。(映画「風の又三郎」参照)
 昭和15年の「風の又三郎」では
杉原泰蔵氏が作曲して有名となり、平成元年の「風の又三郎―ガラスのマント―」でも同じ曲が使われました。昭和63年のアニメ作品では宮下富実夫氏が作曲しています。作者の期待の大きさを考えれば慎重な曲作りとならざるを得なかったでしょう。果たして作者のイメージに・・・

 さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り 日光は運動場いっぱいでした。
 
(ものがたり開幕のファンファーレであり、主人公登場を予告する、意味ある風でもある。高みから暗に辺りに宣言するだけの強い吹き方。
 何もない空で音が鳴るのは空気の一様でない流れ同士が摩擦して渦を作ることなどによる。)

 そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱や栗の木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもは何だかにやっとわらってすこしうごいたようでした。
 (不思議な少年との密接な関係を疑わせる風。木の葉の裏側の青白さが風景を変え、不気味な印象をもたらすだけでなく子供達のすぐ傍でがたがた鳴る。
 写真のポジがネガに反転するように風景が一変し不安な気持ちをかき立てる情景の作者独特の常套描写。
※4

 風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがたいわせうしろの山の萱をだんだん上流の方へ青じろく波だてゝ行きました。
 
(不思議な少年を去らせた風。孫悟空のきん斗雲のようなもの。向う方向へみんなを取り残して去って行く。)

 風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り雑巾を入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。
 
(三郎と嘉助は去っても掻き乱された空気は収まらない。当然話は続く。)

9月2日

 谷川はそっちの方へきらきら光ってながれて行きその下の山の上の方では風も吹いているらしくときどき萱が白く波立っていました。
 
(日常の風。しかし今日は何か違って見える。)

 その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵があがりそれが玄関の前まで行くときりきりとまわって小さなつむじ風になって黄いろな塵は瓶をさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。
 
(これは日光によってグランドが周囲の草地よりも暖められて上昇気流が起こり、その低気圧状態に周囲の空気が流れ込んで巻き上がる塵旋風(ジンセンプウ)である。※5
 固く巻き上がったつむじ風はしょっちゅう見られるものではない。タイミングは三郎との関係を疑わせるに十分。
 なお、強く高いつむじ風の外形は錐状や放物線状というより、下部が細く中空で急に太くなることが多い。的確な表現と言える。)

9月4日

 「あゝ暑う、風吹げばいゝな。」
 「どごがらだが風吹いでるぞ。」
 「又三郎吹がせだらべも。」

 
(自然の風に対して本気ではないが十分意識している。)

 みんなが又あるきはじめたとき湧水は何かを知らせるようにぐうっと鳴り、そこらの樹もなんだかざあっと鳴ったようでした。
 
(波乱を予告する常套的な風。木々の葉鳴りはいつも不安を掻き立てるものだ。)

 空にはうすい雲がすっかりかゝり、太陽は白い鏡のようになって、雲と反対に馳せました。風が出て来てまだ刈ってない草は一面に波を立てます。
 
(かすかな前触れの風。ものがたりの進行を促す。草原の風とは荒涼さそのものだ。)

 空がまっ白に光って、ぐるぐる廻り、そのこちらを薄い鼠色の雲が、速く速く走っています。そしてカンカン鳴っています。
 
(もう覆われてしまっている。もうすぐ風は降りてくる。)

 冷たい風が、草を渡りはじめ、もう雲や霧が、切れ切れになって、眼の前をぐんぐん通り過ぎて行きました。

 草がからだを曲げて、パチパチ云ったり、さらさら鳴ったりしました。

 黒板から降る白墨の粉のような、暗い冷たい霧の粒が、そこら一面踊りまわり、あたりが俄にシインとして、陰気に陰気になりました。

 すすきがざわざわざわっと鳴り、向うの方は底知れずの谷のように、霧の中に消えているではありませんか。
 風が来ると、芒の穂は細い沢山の手を一ぱいのばして、忙(セワ)しく振って、
 「あ、西さん、あ、東さん。あ、西さん。あ、南さん。あ、西さん。」なんて云っている様でした。

 知らない草穂が静かにゆらぎ、少し強い風が来る時は、どこかで何かが合図をしてでも居るように、一面の草が、それ来たっとみなからだを伏せて避けました。

 空がくるくるくるっと白く揺らぎ、草がバラッと一度に雫を払いました。

 又明るくなりました。草がみな一斉に悦びの息をします。

 あたりがほんのしばらくしいんとなりました。それから非常に強い風が吹いて来ました。

 又三郎の肩には栗の木の影が青く落ちています。又三郎の影はまた青く草に落ちています。そして風がどんどんどんどん吹いているのです。

 ふと嘉助は眼をひらきました。灰いろの霧が速く速く飛んでいます。
 
(以上はものがたりの深層モチーフが吹かせる風。嘉助の内面を吹き渡る風。と同時に、ここまで彼を巧妙に導いてきたのは三郎であるからこの風も当然三郎、但し無意識の三郎、言い切れば「又三郎」が吹かせる風。
 風の姿は草々の姿によって描かれる。悪霊としての風
※6風はその内面の奥底の深淵を覗き込めと誘うが嘉助にはまだ訳が分からず、代償としての夢をみる。夢の中にも風が吹いている。夢による昇華作用にもかかわらず風はすぐに収まる訳ではない。
 作者独特の特異な表現が際立っている。)

9月6日

 次の日は朝のうちは雨でしたが、二時間目からだんだん明るくなって、三時間目の終りの十分休みにはとうとうすっかりやみ、あちこちに削ったような青ぞらもできて、その下をまっ白な鱗雲がどんどん東へ走り、山の萱からも栗の木からも残りの雲が湯気のように立ちました。
(過去をどんどん洗い流す風。新しい場面と展開を用意する。この後小康状態を得て風は吹かなくなる。7日に至っては風は死んだように眠っている。)
                      

9月8日

 ところが、そのときはもうそらがいっぱいの黒い雲で、楊も変に白っぽくなり、山の草はしんしんとくらくなり、そこらは何とも云われない恐ろしい景色にかわっていました。
 そのうちに、いきなり上の野原のあたりで、
ごろごろごろと雷が鳴り出しました。と思うと、まるで山つなみのような音がして、一ぺんに夕立がやって来ました。風までひゅうひゅう吹きだしました。
 
(再びものがたりの深層モチーフが吹かせる風。妥協を許さない、覚悟を迫る風。今度は三郎の内面の奥底を吹く風がこのあと一瞬表面に躍り出て宣言する。だが三郎本人には気付く用意が出来ていない。風は再び深いところに退却する他はない。
 強烈な日差しによってたっぷり暖められた大気。その上空に忍び寄る秋の冷気。大気の状態が極めて不安定となるのはこのような時である。そこに発生した局地的な前線が通過する時、天候は急変する。この時を境としてこの地方は本格的な秋に入ったと思われる。
 ひゅうひゅうというのは木々の枝などの風下に生じる空気の渦の連発(カルマン渦)による音(エオルス音)。一定以上の強い風によってはっきり聴こえる。エオルス音については「十月の末」に記述がある。“電信ばしらが、「ゴーゴー、ガーガー、キイミイガアアヨオワア、ゴゴー、ゴゴー、ゴゴー。」とうなっています。” これはエオルス音が電線の固有振動と共振している様子を表している。ほかにも「シグナルとシグナレス」、「月夜のでんしんばしら」に同様の記述が豊富にある。)

9月12日

 びっくりして跳ね起きて見ると、外ではほんとうにひどく風が吹いて、林はまるで咆えるよう、あけがた近くの青ぐろいうすあかりが、障子や棚の上の提灯箱や、家中一っぱいでした。一郎はすばやく帯をして、そして下駄をはいて土間を下り、馬屋の前を通って潜りをあけましたら、風がつめたい雨の粒と一緒にどうっと入って来ました。
 馬屋のうしろの方で何か戸が
ばたっと倒れ、馬はぶるるっと鼻を鳴らしました。一郎は風が胸の底まで滲み込んだように思ってはあと強く息を吐きました。
 
(私事に亘るが、私自身の幼年期の記憶が皮膚の上に甦る思いがする。しかしついこの間まで伝えられてきたこの国の基底生活感覚とも言うべきものは遅くとも昭和40年代を境として今は影もないように思われる。果たしてそんな現代にこのような記述のうちの何が真に伝わるというのだろうか。その時代を知らなければ文学作品は理解できないのかと問われれば、知っている者からすればそうだと答えるしかない。稲作及び稲藁による生活用品、土間及びイネ科植物の敷物の上での庶民の生活スタイル、などに特徴付けられる広義の弥生時代は有史以前から昭和30年代まで2千年以上続き、突然断絶した。その意味で日本史はここに二分されるというのは私だけの妄想ではない。――例えば鑑賞の手引き(1)9月12日の注をごらんいただきたい。ほんの一世代のうちに旧世界は失われてしまったのである。このようなことは明治維新期にもあり得なかったであろう。――
 とすれば昭和に生きた日本人が時代劇を理解するよりも平成の若人が昭和前半の生活感覚を理解する方がずっと困難であるのは無理もない。幸か不幸かそんな稀有な時代に生きる若い読者は少なくともここでは自分の知っている風とは違う風が吹いているのだと覚悟しなければならないだろう。)

 家の前の栗の木の列は変に青く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯をするとでも云う様に、烈しくもまれていました。青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎられた青い栗のいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけわしい灰色に光り、どんどんどんどん北の方へ吹きとばされていました。遠くの方の林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっと聞えたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物をもって行かれそうになりながら、だまってその音をきゝすまし、じっと空を見上げました。
 すると胸が
さらさらと波をたてるように思いました。けれども又じっとその鳴って吠えてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどかなってくるのでした。昨日まで丘や野原の空の底に澄みきってしんとしていた風が、今朝夜あけ方俄かに一斉に斯う動き出して、どんどんどんどんタスカロラ海床の北のはじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあなって、自分までが一緒に空を翔けて行くような気持ちになって、胸を一ぱいはって、息をふっと吹きました。
「あゝひで風だ。今日は煙草も粟もすっかりやらえる。」と一郎のおじいさんが潜りのところに立って、じっと空を見ています。
 (ものがたり総ざらえの風。全てを根こそぎ持ち去ろうとする台風。一郎の見るものには皆去りつつある三郎の影が感じられる。風はまずさらさらと心の中のわだかまったものを流し始める。それからどかどかと思いを昂進させる。アドレッセンス前段の少年の、妖しくも狂おしい存在に惹かれる心理と、計らずも見つけたその対象を今失おうとしている心理を描くこの秀逸な場面は一種官能的な迫力を備えている。異形の転校生との出会いに触発され掻き乱された少年達の心のいっときの喘ぎの声々。「風の又三郎」の中心はこれだと見ることができる。ものがたりは、少年期の心にふいに現れてさまざまに惑わし、時には命の危険にまで誘い込み、そしていつしか拒否されて、あるいは憑き物が落ちたように去って行く、成長の重大局面の一部始終なのである。
 この朝、雲は北へ流れて、台風の中心が北西方向にあることを示している。暴風は盛りにかかっている。
※7

 烈しい風と雨にぐしょぬれになりながら二人はやっと学校へ来ました。
 
(風はこの期に及んでも二人を翻弄してやまない。)

 宿直室の方で何かごとごと鳴る音がしました。
 (風はまだ何かを言いたそうに所構わず吹き付ける。)

 風はまだやまず、窓がらすは雨つぶのために曇りながら、まだがたがた鳴りました。
 (最後のなごり。遠く去りながらも一瞬近くへ鳴り響く。ものがたりは未完だと言いたそうに・・・。
 つかの間この世に存在を許され、自然の摂理に従って程なく消え去りゆくもろもろの自然現象たちの、この世に対する限りない愛惜の念と、悲しみと言えば悲しみと言えるそれらの存在のしかたそのものがわれわれの心を打つのだということを言ってみたくなるような最終場面。
 がたがたは三郎の苗字高田であると天沢退二郎氏は前出「謎解き・風の又三郎」で冗談めかして言っている。)


 (風についての気象学的解説は参考作品紹介「風野又三郎」を読む にもあります。)



 強い風の日に森や林の入口に立ってその奥の方から聞こえてくる風の音を聞くとき、あなたは何を感じますか?
 ザワザワいう無数の葉ずれの音に木々の枝が風を切る無数の音が混じってゴーッと唸っているのは、あれは確かに風の音に違いありませんが、しかし、あの恐ろしいような物凄いような底知れぬような、人を立ち竦ませてしまうような音を、私はただの物理的音響の無意味な集合だと思うことができません。それにしては余りにもはっきりと意味を持って襲いかかってくるではありませんか。
 もしもその風の音の奥に何か人格的とでも言うか、何らかの意志の力が存在しているのだというのであれば、私はあの圧倒的に襲いかかられる感覚の理由を容易に納得するでしょう。
 なぜ私はそのように感じてしまうのでしょうか。
 森や林と、そこに吹き付ける風というこの組合せが何か神秘的なまじないのように働いて私をすくませ、追い立てるのは、遠い昔の私の祖先が裸で大自然に曝されていたときの感覚の長期(!)記憶の一部なのに違いありません。私の祖先は森の中の風の音に「すくませ、追い立てる神」を感じていたのではないでしょうか。



※1 作品の成り立ち取材行
※2
作品の成り立ち創作メモ
※3 作品の成り立ち取材行
※4
美しい自然青い世界
※5 参考作品紹介「風野又三郎」を読む
※6 鑑賞の手引き(2)“風の又三郎”とは
※7 台風模式図


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