くがつ じゅうににち 、第じゅうににち。 「どっどど どどおど どどおど どどお 青いくるみも、吹きとばせ すっぱいかりんもふきとばせ  どっどど どどおど どどおど どどお どっどど どどおど どどおど どどお」 センコロ、又三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中で又きいたのです。 びっくりして跳ね起きて見ると、外ではほんとうにひどく風が吹いて、はやしはまるでほえるよう、あけがた近くの青ぐろいうすあかりが、障子や棚の上の提灯箱や、家中いっぱいでした。
一郎はすばやく帯をして、そして下駄をはいて土間を下り、馬屋の前を通ってくぐりをあけましたら、風がつめたい雨の粒と一緒にどうっと入って来ました。 馬屋のうしろの方で何か戸がばたっと倒れ、馬は ぶるるっと鼻を鳴らしました。一郎は風が胸の底まで滲み込んだように思って、はあ と強く息を吐きました。そして外へかけだしました。外はもうよほど明るく、土はぬれて居りました。家の前の栗の木の列は変に青く白く見えて、それがまるで風と雨とでいま洗濯をするとでも言う様に、はげしくもまれていました。
青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎられた青い栗のいがは黒い地面にたくさん落ちていました。そらでは雲がけわしい灰色に光り、どんどんどんどん北の方へ吹きとばされていました。遠くの方のはやしはまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったり ざっと聞えたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物をもって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げました。 すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。
けれども又じっとそのなって吠えてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどかなってくるのでした。昨日まで丘や野原の空の底に澄みきってしんとしていた風が、今朝 よあけがた 俄に一斉に斯う動き出して、どんどんどんどんタスカロラかいしょうの北の はじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあなって、自分までが一緒に空をかけて行くような気持ちになって、胸をいっぱいはって、息をふっと吹きました。「ああ ひで風だ。今日はたばこも粟もすっかりやらえる。」と一郎のおじいさんがくぐりのところに立って、じっと空を見ています。
一郎は急いで井戸からバケツに水をいっぱい汲んで台所をぐんぐん拭きました。それから金だらいを出して顔をぶるぶる洗うと、戸棚から冷たいごはんと味噌をだして、まるで夢中でざくざくたべました。「一郎、いまおツケできるから少し待ってだらよ。ナして今朝そったに早く学校へいがなぃやなぃがべ。」 お母さんは馬にやる 。を煮るかまどに木を入れながらききました。「うん。又三郎は 飛んでったがも知れなぃもや。」「又三郎って何だてや。鳥こだてが。」「うん。又三郎って言うやづよ。」
一郎は急いでごはんをしまうと、椀をこちこち洗って、それから台所の釘にかけてある油合羽を着て、下駄はもってはだしでカスケをさそいに行きました。カスケはまだ起きたばかりで、「いまごはんだべていぐがら。」と言いましたので、一郎はしばらくうまやの前で待っていました。 まもなくカスケは小さい簑を着て出てきました。 はげしい風と雨にぐしょぬれになりながら二人はやっと学校へ来ました。昇降口からはいって行きますと教室はまだしいんとしていましたが、ところどころの窓の隙間から雨が板にはいって板はまるでざぶざぶしていました。
一郎はしばらく教室を見まわしてから、「カスケ、二人して水 はぐべな。」と言ってしゅろ箒をもって来て水を窓の下の孔へはき寄せていました。 すると、もう誰か来たのかというように奥から先生が出てきましたが、ふしぎなことは先生が あたりまえのヒトエをきて赤いうちわをもっているのです。「たいへん早いですね。あなた方二人で教室の掃除をしているのですか。」先生がききました。「先生お早うございます。」一郎が言いました。「先生お早うございます。」カスケも言いましたが、すぐ、「先生、又三郎今日来るのすか。」とききました。 
先生はちょっと考えて、 「又三郎って高田さんですか。ええ、高田さんは昨日お父さんといっしょにもうホカへ行きました。日曜なのでみなさんにご挨拶するひまがなかったのです。」「先生飛んで行ったのすか。」カスケがききました。「いいえ、お父さんが会社から電報で呼ばれたのです。お父さんはもいちどちょっとこっちへ戻られるそうですが高田さんはやっぱり向うの学校に入るのだそうです。向うにはお母さんもおられるのですから。」「なして会社でよばったべす。」一郎がききました。「ここのモリブデンの鉱脉は、当分手をつけないことになったためなそうです。」
「そうだなぃな。やっぱりあいづは風の又三郎だったな。」 カスケが高く叫びました。宿直室の方で何かごとごと鳴る音がしました。先生は赤いうちわをもって急いでそっちへ行きました。 二人はしばらく黙ったまま、相手がほんとうにどう思っているか探るように顔を見合わせたまま立ちました。 風はまだやまず、まどがらすは あまつぶのために曇りながらまだがたがた鳴りました。

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