某月某日

 まだ少し明るいうちに仕事から帰った私は、家が空っぽなのに半分腹を立てながら冷蔵庫から有り合わせの物を出し、一人でウィスキーをちびちびやっていたが、猛烈に焼肉が食べたくなった。こんなことを思い付くのは随分久しぶりである。
 短いコートを羽織って外に出た私はほろ酔い機嫌で近所でたった一つ憶えのある焼肉屋へ向かった。

 すっかり暗くなって、まずまず堪能した私はふらふらと元来た道を戻り始めた。そこは東京のP区のはずれ。すぐ先はもうQ市である。
 酔っ払いの目は思わぬところに止まるらしい。「・・の森」と刻まれた木の標識がある。そんな物は見覚えがなかった。といってもしょっちゅうここを歩いているわけではない。この道は月に何度か深夜の仕事帰りの車の後部座席で眺めるのだが、注意してこの辺りを見たことがあるわけでもない。
 標識の奥のやや上り坂になった雑木林の道を私は相変わらずふらふらと(そうだったと思う)進んでいった。枯葉の積もった細い道はゆっくりとくねり、枝分かれしたりもする。通りの灯りはほとんど届かず暗い。常緑樹も多いらしくて空も見えないようだ。風が吹いている。
 私は「すごいすごい、乱歩の世界だ、怪人二十面相の世界だ。」と低くわめきながらずんずん進んで行った。
 だいぶ奥まで来たなと思うと、遠くの民家の灯りが見えてきた。森自体は深くはないが空き地を含めた敷地は広いらしい。
 森を抜けるとそこには、昔見た宝塚の舞台のホリゾントのような、プラネタリウムの地平線のようなシルエットがずっと向うに広がっている。
 道の左右は畑のようだ。まばらな柵の左側はきれいな冬枯れの芝生だ。私は都合よく横棒のない柵を抜けて芝生に入るとコートのままドサッと仰向けに寝転んだ。
 地面は思いがけず暖かく頭の後ろも心地よい。空はもちろんまばらな星ではあるがほぼ360度の満天である。
 賛嘆の小さな声を上げた私は寝たまま目玉をぐっと上の際まで上げてみたところ、空き地の向うに見えていた地平線が逆さまに見えた。大小二本のけやきの木と、灯りのついた家々のパノラマ。目をぐるっと下に戻してくると、今通ってきたこんもりとした森。魚眼レンズを覗いたような眺めは絵に描いても得られない光景だ。
 何度も目玉を往復させながら、その時私はこんな時になら例の天気輪の柱というものが今にも目の隅に見えてくるのではないのだろうかと考えていた。

 酒の勢いで、そして思いがけない偶然の機会に恵まれて私はこの歳で、日常のすぐそばでこんな稀有の体験をさせてもらった。
 若い時にも現実逃避の衝動に捉えられることのなかったとは言えない私だが、現在のこの境遇でのまるで無防備の虚実の弁別失調という隙だらけの体験に、今、なんとも表現しにくい、苦いというだけではない思いをつくづく内省しているところである。

 

 某月某日

 宮沢清六さんが亡くなられた。宮沢賢治の最強の後援者たる実の兄弟が生きておられるということは私と宮沢賢治が同時代人であることの証であると強いて思い込むことの出来る何よりのよすがであった。
 宮沢賢治と私は決して同じ時代の空気を吸ったわけではないが、同じ匂いの空気を吸った同士のつもりではいた。しかし改めて時代の経っているのをのを思い知らされてみると・・・
 私は宮沢賢治の心酔者というわけではどうもなさそうだ。しかし彼と同じ日の空気を吸うことのできる人生であったならと今こう思うのは、では何と形容したらよいのだろうか・・・。
 (多分やはり中途半端なファンの気迷い、でまかせ・・)

 

 某月某日

 奥多摩で風の正体を見たような気がするのも、カゼノマタサブロウと唱えればその正体を感得できる気がするのも、西田幾多郎の言う統一的或者の仕業かもしれない。
 純粋経験であったのかそうでないのか・・、しかししばらく主客合一の匂いは残っていたような気がする。
 もっと哲学してみなければいけない。
 (この項近いうちに(読書してから)書き替えられる。気が重い。)

 

 某月某日

 仕事の合間を縫って又三郎関係の催しに遠出した。
 帰りがけ、駅のホームで定期入れを無くしたことに気がついた。会場のトイレでポケットを滑り落ちたに違いない。急いで会場に戻りたいが今入ってきた列車に乗らなければ今日最後の仕事に間に合わない。
 混み合う車内で必死に考えた。着いたらすぐ電話しよう。でも多分駄目だろう。コンパクトに全てのものを入れたのが裏目に出た。相当期間残っている定期、図書館カード、献血カード、ポイントカード、その他の名刺やメモは諦めるとしても銀行、クレジットカード会社への連絡は緊急だ。が、すでに終業時間だ。冷や汗がこめかみを伝う。出かけて来なければ良かった。今日の日が台無しだ。好事魔多しと言うがあんまりだ。
 空いてきた椅子に腰掛けたが前の客が見ている。我ながらひどい顔をしているのだろうと思う。
 落ち着け。今日の日を全否定するのは惨めすぎる。こんなことがあったとしても今日は二度と得られない収穫のために出かけて来たのではなかったか。そうして収穫はあったではないか。差し引きしても今日の日は良かったではないか。
 ようやく窓を眺められるようになったとき、外には夕闇迫る東京の街が流れていた。

 

 某月某日

 先日の後始末に出かける。
 若いときに住んだ下町の繁華街の銀行は周囲の高層ビルとは不釣合いな奇跡的に古い小さなビルのままであった。
 「30年前と変っていないんですか。」という問いに窓口の若い女性は「詳しくは分かりませんが多分そうだと思います。」と言う。薄茶色に変色したファイルを手にした彼女に「いろいろ遠くへいらっしゃってたんですね。」と言われた私は、確かにここへ戻って来るまで大変な旅をして来たような気がした。
 親戚の家も馴染みの店も残っていない。元の住居跡も新しいビルになっている。駅前の大きな魚屋は姿を変えて残っているが駅横の興行街はすっぽりビル化している。北口は全く別世界のようだ。
 うだる暑さの中をさまよった後に私は駅のホームでぼーっとJRのポスターを見ていた。曰く、本に書いてない宮沢賢治の心は現地の星や森や土に聞けと。
 今の私と30年前の私とをうまくまとめ切れないままに70年前を提示されて、私はちょっとお・か・し・く・なっていた。

 

 某月某日

 最初のUPからちょうど2年が経ち、ようやく分量だけは一定のまとまりが出来てきたかなと思う。途中何度もこれでおしまいと思いながら結局ぼちぼちとここまでつないで来た。今ももうおしまいという気がするが、このあともまたぼちぼちと加えることが出て来ることもあるのだろう。

 

 某月某日

 風の又三郎以外は好きじゃないのかと訊かれてそんなことはないと答えたら、それじゃ好きなものを挙げてみろと言われた。
 それぐらいは出来る。童話なら水仙月の四日、鹿踊りのはじまりはいいねぇ、やまなしの透明感、インドラの網の清涼感、十月の末の可愛らしさと懐かしさはやっぱり天才だと言うと、いちばん好きなフレーズはどこだというから、とっこべとら子の、そちは左程になけれどもそちの身に添う慾心が実に大力じゃ、だと言うと、変っていると言われた。
 変っていると言われても悔しくない。私は作者のこの力強さが嬉しいのだ。初めて読んで小躍りしたあの駅の薄暗い跨線橋の情景もありありとしてくる。

 

 某月某日

 あらゆる機会をとらえて「風の又三郎」をお読みになりましたかと訊くが、めったにハイという返事はない。
 ちょっとした縁で毎年岩手県の中学生と面談する機会があるが、いつも「風の又三郎」についてはウーーンという返事である。
 岩手の少年少女がこうなら他は推して知るべしであろうか。

 

 某月某日

 さっき飲み屋で箸袋にメモしたのを見ながら書いている。イヤフォーンで携帯ラジオのチャンネルのあちこちを聴いていたのだが、放送大学らしいのが、「将来のキャッシュフローを担保に・・・」と言っている。私は憐れみに似た不快な感情を抑えきれずボタンを押した。すると、NHK第二らしいのが「憧れの外国の土を踏む前の、あれこれ考えていた頃の方が幸せであった。・・・ではこれで文学と風土についての話を終わります。」と言う。すぐに私はイーハトーブの風土を思い、安らいだ。
 酒を飲んでいる時にはこの世の聖と俗との対立を際立って感じるようだ。「キャッシュフロー」や「担保」などというものが果たして学問の言葉であろうか。唾棄すべきものは唾棄すべきと言わなければならないと、箸袋に走り書きしたのであった。

 

 某月某日

 何も持っていない私が、卑怯にもさも何かを持っているような振りをして書き散らかしたガラクタ。
 間違いなくそんな代物なのに、なぜそんなガラクタを人目に晒すのかと問われれば一言もない。
 ただ、気持ちを言わせていただくなら、ちゃんと何かを持っている人に宮沢賢治の世界に眼を向けていただく何かのほんのちょっとしたきっかけにはなることもあるのではなかろうか、そうすればそれが結局・・・という欲心を抑えることができなかったということについてはなんとか宥恕を頂けないだろうか、というなんともフニャフニャな・・・

 

 某月某日

 ほぼ三年たった。 フーム・・・ ・・  ・   ・ 。 (言葉が続かない。申し訳ない。)

 

 某月某日

 「土性調査慰労宴」を引用し了え、既に引用してあった短詩「病床」を読み合わせてみると、何か作者の人生を一目に見通してしまったような(もちろん錯覚に過ぎないだろうが)感に打たれ、粛然としてしまった。
 このごろようやく自分なりの作品解釈ができるかもしれないという気がしてきたところだ。

 

 某月某日

 中学生の女の子と話していて(仕事の延長です。一応(^_^;))「今国語でオツベルと象を習っている」と聞きました。作者は誰か知っている?というと宮沢賢治と言うので、じゃあ小6のとき「やまなし」を習った?と訊くと習ったと言います。
 他に宮沢賢治の作品は読んだことある?と訊くと、風の又三郎と言います。私は鼻の穴をふくらませて(ちょっと危険な場面)、な、な、何の本で読んだの?と訊くと、どうもダイジェスト集のようなものらしいのです。でもあらすじについてはわりあい把握しているらしいので、今度はちゃんと全部読んでねと言うと、夏休みの宿題がいっぱいあるので二学期になってから読んでみるという返事を貰えました。
 その夜・・・ ビール箱の上に板を乗せただけの小さなテーブルで焼き鳥を肴にホッピーを煽りながら、目の前のガード上をびゅーんと走り行く、まるで鮫の背びれを乗せたような新幹線の車体を目で追いながら、「ビューンと飛んでくてーつじん、にじゅうはーちーごー」と小さく喚いている私でした。

(思わず ですます体になっている私。)

 


風の又三郎応援一人委員会代表委員により半分酔った状態で書かれることの多い不定期日記・・・
(翌朝書き直されることもある。)

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