宮沢賢治の選択

 宮沢賢治は若くして亡くなりました。そのことが残念でなりません。人生に「もし」はないとは分かっているのですが、ほんとうに彼がもし高等農林を卒業したあとも教授の勧め通り研究生活を続けていれば・・・。そうでなくても農学校の先生さえ辞めずに続けていたら、きっともっと丈夫に長生きできたでしょう。そうすれば私たちはもっともっとたくさんのかけがえのない詩や童話を読むことができたでしょう。それを思うと本当に残念でなりません。
 (でももしそうだったら、私たちはあの勇ましい「風野又三郎」は読めても、あの陰影の濃い「風の又三郎」を読めたはずも、またなかったでしょう。)

 運命だったというだけでは余りにも耐えがたいものですから、私は彼が今の、この「風の又三郎」が残された、この世界を意思的に選択して私たちに残したのだと考え、この運命に最大限の肯定を与えたいと思います。
 もちろん、「風の又三郎」が存在しない無数のパラレルワールドの存在を仮定して、あらゆる楽しい可能性を夢想する権利も保留して、という欲張りな私です。