「転校生の魔力」

 かつて「転校生」は物珍しさの対象の最たるものでした。しかもそれは昔から飛び抜けた優等生ということになっているではありませんか。のっけから呑まれてしまっているあなた方にとっては平穏な学校生活はもう考えられなかったでしょう。あなた方が彼に強力に引きつけられ、引っ張りまわされ、それでもぞろぞろと後を付いて回り、しばらくは心身ともに魔法にかかったような日々を送ってしまったということは皆さんのそれぞれの述懐をお聞きするまでもなく、よーく分かります。私もそうだったからです。そしてそのハンメルンの笛吹きのような魔法の重要な小道具がやはり彼の服装や話し言葉であったろうということもよーく分かります。
 「風の又三郎」でも当然のことに、転校生の服装の奇妙さと話し言葉の違いについてはっきりと言及しています。そして優等生であった三郎は必然、少年たちを強烈に引き付けました。
 作者の宮沢賢治もその小学校時代に同様の転校生との遭遇を自身体験したか、あるいは身近な見聞があったのでしょう。それゆえに三郎の魔力の発信器となっている服装と言葉について過たずに描写し得て、話の冒頭ですでにあなた方や私のような読者にも確実に魔法をかけることに成功しているのだと思えるのです。
 例えば先年映画になった『少年時代』でも、転校生と地元の少年たちとの力関係においてはやや異なりますが、基本的には同じパターンを見ることができます。そして転校生の魔力が騒動を引き起こし、最後には惜別の時がやって来ます。このような転校生を巡る一つのパターンは日本の近代の物語の重要な一ジャンルを形作っているほどの存在感を持っていますが、しかしその転校生の魔力という概念は現在の、言葉や服装が共通化された子供たちの世界では果たしてどの程度の普遍性を持っているのでしょうか。今後とも若い人たちによって「転校生もの」の傑作が生み出され続けて行くということは案外、いややはり、残念なことにあまり期待できないような気がするのです。