最後の作品

 「風の又三郎」は「銀河鉄道の夜」と並んで宮澤賢治の最後の作品と言われています。
 「銀河鉄道の夜」は自らの生い立ちに対する引け目や理不尽な社会への怒り、愛する人との死別による悲嘆などを契機とする、彼の人生を貫いた思想の総まとめであるように思えます。
 もう一つ最後の作品と言われているものに「文語詩」がありますが、これは病床にあった作者が人生のさまざまなシーンを振り返り、改めてその時点での視点で再編したものと言われていますので、つまり自らの歴史のアルバムの整理のようなものだと思います。
 どちらも作者の人生の総まとめと捉えるなら、同じ時期に書かれた「風の又三郎」もまた同じ種類の作品ではないかと見てみることも当然許されるでしょう。
 失礼な言い方かもしれませんが、若いときに(若気の至りで)書きまくって来た絵空事(病床で気弱になっていた作者にはそのように思われることもあったと思うのです)の数々を振り返ってみて、そこに一種の危うさを感じた作者はその補償のためか再確認のためか、地にしっかり足の付いた作品を書き直さなければならないという心境にあったのではないでしょうか。
 しかし、それだけでは終りませんでした。どうしても最後まで残った疑問があったのだろうと思います。
 一体世界はどのように出来ているのだろうか。地にしっかり足を付けているつもりでも、果たしてそれだけで世界の全体を知ることが出来るものなのだろうか、といった疑問がどうしても去らなかった作者の書く「風の又三郎」は今私たちが読む、謎の深い作品とならざるを得なかったのだろうと推測してみるのです。