自然保護について
7日の囃しことば「川を濁すなよ」やモリブデン鉱山の開発中止について、作者の先見的な環境保護思想のあらわれと見るのは可能でしょうか。「川を濁すなよ」については、川の景観や漁業資源の保全を訴えているのだと解釈している本もあります。(宮城一男「宮沢賢治と自然」など)
一方当時はそれ以前の生活常識として、生活範囲の整美志向が常識として日本人に行き届いていましたし、川は生活の一部に組み込まれていたのですから、特別と見るべきでないという見方もできます。つまり、あの川は現代の我々にとっての自宅の庭と同様にきれいにしておくべきものであったというわけです。昭和15年の映画では先生が子供たちに自然な形で、川を濁したり崖を崩すなと注意しています(シナリオより)。それがごく普通の感覚であったということでしょう。
モリブデン鉱山については難しいところです。なぜあのような形で物語を収束させたのか、さまざまに考えることができるでしょう。果たして作者に大規模開発に対する環境保護的観点からの危惧があったのかどうなのか・・・。生活からかけ離れた遊園地的温泉郷の造成には嫌悪感をあらわにしていますが(「悪意」)。
しかし、作者の自然保護に関する情熱は、たとえば高山植物を不法に採取する者に対して激しい調子で非難する詩(「花鳥図譜・八月・早池峯山巓」)を読んでみても激しく伝わってくることは間違いありません。