SF風の又三郎発端

先生と博士

 その小さな小学校を一人の鉱山技師らしい男が訪れたのは昭和六年の師走のことであった。すでに冬休みに入って一人で宿直をしていた先生は世間話を始めてすぐにこの寒そうな作業服姿(あり合わせのものを着てきていたのである。)の男が土地の者ではないことを察していた。男はこの東の方の山から良い鉱脈が走っていて、是非とも詳しく調べてみたいとさかんに感心した風な口ぶりで言い、きっとお国のためにいい仕事ができそうだ(いかにも時代に合うようにわざとらしく言ったのである。)とも言った。

 翌昭和七年、春の新学年が始まってすぐに役場を通じて鉱脈試掘の話があって(男の根回しによる。)、できる限りの便宜を図るようにとの指示があった。先生はああ、あの男の言っていた話だなと思い出したが、その後何の連絡もなく日が過ぎて行ったので半分は忘れたようなものだった。

 夏休みに入ってから男はやって来た。こんどは二人の部下を連れてスコップや測量道具のような物も持っている。先生は男の顔と格好を見て一瞬半年以上も前の情景をありありと(実はついさっき来たときと全く同じ格好なのだから。)思い出しながら懐かしそうな表情で待っていたんですよというような挨拶をした。男も懐かしそうな挨拶をした(さっき会ったばかりなのだが。)

 その日からすぐに作業は始まった。東の山の鉱脈はモリブデンという金属のもので、それが真っ直ぐにこの学校の真下を通っている。まず手始めにここの地質をざっと調べたい。ついては二学期が始まる前に床下を掘らせてほしい。この工事については生徒たちにも村人にもくれぐれも内密に願いたいと、このような話であったが先生には否も応もなく、彼らは宿直室の隣の物置のような部屋の床板を取り去って早速床下を掘り始めた。出た土はモッコで担いで裏の山の下に捨てたが、不思議なことはそれから二日後、裏の土の山がそんなに大きくならないのに、先生にはもう何人もの作業員が床下の穴に入って行ってしまっているように思えたことだった。(ある程度のスペースができたらあとは据え付けたタイムマシンを利用して一挙に土を別次元に排出したのである。)

 先生には嬉しいことがあった。現場監督をしているあの男の息子がこの学校に転校して来ることである。こんな山奥の分教場へ遠くからの転校生がやって来ていろんな刺激を与えてくれるのは願ってもない社会勉強の機会となる。生徒たちもきっと喜んでくれるだろう。先生はこう考えて心待ちにしていた。

 三郎がやって来るのは八月下旬の予定であった(実際は違うが、先生はそのように聞かされていたのである。)。床下では相変わらず何事か工事が続いており、思ったより長期化した調査に先生はやや戸惑っていた。父と一緒に下流の谷の奥の小屋に住むために北海道からやって来たというその少年と実際に顔を合わせることができたのは九月一日の朝であったが(実は少年はその日に来たのである。)、予想以上に利発そうな印象であった。

*

 博士の専門は気象干渉であった。特定の範囲の気象を自在にコントロールする技術は急速に発展し、実験室(といっても相当大きなドーム内の空間であったが)での実績は申し分のないところまで来ており、あとは実際の開放された自然空間でのある程度の規模の実験が待たれるばかりであった。しかし、気象干渉は一定以上の環境に対して悪影響を与えるものではないことは確認されていたにもかかわらず、どうしたことか法的な制約のクリアがなかなか思うように進まず見通しは不透明であった。政府も実験の重要性を認め積極的に後押しをしてくれた結果、結局実験は別位相実験、つまり過去の世界で実現されることになったのである。

 まず人口が適当に過疎であり、かつなるべく気象干渉の実用的意義が認められる地域を念頭に博士はタイムマシンを駆って昭和初年頃の東北、北海道を何ヶ所か巡ってみた。そして実験の規模も考え合わせて最終的に選んだのが北上山地南部の山村、そして小学校であった。

 博士は準備が全て整ってから行動を開始した。急激な気象変化がありふれた時期、つまり夏から秋への急速な変わり目を目途に、そこから充分に遡った冬休みの時期を選んで学校を訪れて伏線を張り、次に仲間と一緒に夏休みの学校を訪れた(タイムマシンを使ったので、博士にとっては今行ってきてすぐまたとんぼ返りで行ったのである。)。もちろんその筋から巧妙に現地の役所等には根回しをしてある。

 学校の先生は実直そうで機密保持は大丈夫だ。作業の方も順調に進んでいる。まずタイムマシンの部品さえ運び込んでしまえば後は入口を通さないでも地下の作業のみで掘削も実験機器の組み立てもできる。作業はある程度時間はかかるが、実験期限の九月十二日までには成果は上がるだろう。こう考えて博士は予定をこなしていった。

 彼はタイムトラベル自体にはあまり馴染みがなかった。昭和七年の世界ももちろん彼にとってはほとんど見知らぬ世界である。暇を見ては帰る自宅ではその珍しい見聞を積極的に家族に披露した。そしてその過去の世界の様子に敏感に反応したのが博士の一人息子である少年であった。少年は木造の小さな校舎や、複式学級で学ぶ和服姿の子供たち、澄み切った谷川、緑濃い山々の話に異常に引き付けられて居ても立ってもいられぬ位の気持ちになっていったのである。

 博士の時代の風潮にあってはこのような過去の世界の話に興味を持ち、引き付けられる子供というのは極めて珍しい存在であったが、なんとかしてその学校に通いたいという少年の希望は法的には大きな問題はなかった。しかし果たして何の悶着もなくあの世界の学校生活に入り込めるものなのか、博士はその点で非常に懐疑的であったのだが、その後少年が猛烈に勉強して、授業の受け方とか、当時の言葉とか、果ては「三郎」という古風な名前まで考えて、あの世界に転校生としてなら完全に融け込めると自信を深めた様子を見て、とうとうタイムトラベルの許可と現地の転校手続きを取ったのであった。


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