日本の暦の歴史 和元号と読み方 カレンダーの歴史はこちら
体系的な暦を知る前は、人々は素朴に月の形の移り変わりで日々の移ろいを、太陽の見え方で季節の推移を把握していた
ものと思われます。
日本書紀の欽明天皇十四(553)年6月の条に、百済から暦博士を招いて暦本を入手しようとした記事があります。
その暦は当然太陰太陽暦で、いま旧暦と言っているものとほぼ同じものでした。
その後江戸時代まで(時代によって計算方式の細部は異なりましたが)暦は公式に発布されてきました。
554(欽明天皇十五)?年〜元嘉暦
697(文武天皇元)年〜儀鳳暦
764(天平宝字八)年〜大衍暦
857(天安元)年〜五紀暦(大衍暦と併用)
862(貞観四)年〜宣明暦 ここまでが輸入暦
1685(貞享二)年〜貞享暦 渋川春海※による国産暦。以下国産の暦。
1755(宝暦五)年〜宝暦暦
1798(寛政十)年〜寛政暦
1844(天保十五)年〜天保暦
※しぶかわはるみ/しゅんかい:江戸前期の天文暦学者
そしてこれらの暦に従って以下のような実用的な「こよみ」が作られてきました。
(以下Wikipediaから引用)
具注暦(ぐちゅうれき)
吉凶判断のための様々な暦注が記載されているところからの命名。飛鳥時代の木簡に具注暦を記したものが見つかっている。奈良時代には朝廷の陰陽寮が作成し頒布していた。鎌倉時代に具注暦を仮名表記にした仮名暦が現れた。
三島暦(みしまごよみ)
奈良時代(8世紀後半)から続くと言われている。この暦を作ったのは奈良から三島宿へ移ってきた暦師河合家であった。江戸時代初期には幕府の公式の暦となり、関東・東海地方で広く使われていた。河合家は平成に入り50代続いた暦師を廃業した。
京暦(きょうごよみ)
始まりは鎌倉時代と推定されている。15世紀中頃には摺暦座(すりごよみざ)が専売権を持っていた。1657年には朝廷御用達で全国の暦師の監督権を持っていた大経師(だいきょうじ)が大経師暦を発行していた。
大宮暦(おおみやごよみ)
戦国時代に武蔵国大宮の氷川神社で作成された仮名暦。
丹生暦(にゅうこよみ)
三重県丹生の賀茂家が版行していた暦で遅くとも16世紀中頃には発行されていたが、後に伊勢暦にとってかわられる。
伊勢暦(いせごよみ) 1632年より発行され江戸時代には全国各地に配布された。この暦には吉凶凡例、日ごとの節気や農事に関する記述があり生活暦として重宝され、伊勢詣の土産にもなっていた。配布数も増加し享保年間には毎年200万部が出版され、全国で配られた暦の約半数を占めていたともいわれている。
江戸暦(えどごよみ)
江戸の人口増大に伴って17世紀中期から刊行され、1697年には11名からなる仲間組織が結成された。
1871年(明治4年)には改暦および官暦の発行に伴い、全国の暦師をまとめた頒暦商社が組織された。官暦ではそれまで記載されていた吉凶の記載が除かれ、明治末には旧暦の記載もなくなったため、それらを記載した非合法の「お化け暦」が出回った。
1883年には本暦(官暦)の発行は神宮司庁の管轄となり神宮暦(じんぐうれき)と呼ばれた。
(ここまでWikipediaから引用)
会津暦(あいづごよみ)
江戸時代、会津若松の諏訪神社の神官によって作られた地方暦。
薩摩暦(さつまごよみ)
江戸時代、薩摩藩で特に暦編集の役人を置いて作らせ、領内だけに用いられた暦。
南部暦(なんぶごよみ)
南部地方で作られた暦。すべて絵によって月日、農事の気候などを一枚刷りで表したもの。
大小暦(だいしょうごよみ)その年の大の月、小の月の区別を示したもの。絵解きで表したものが多い。
盲暦(めくらごよみ)月の大小や暦注を絵解きで表したもの。文盲でも解る意。絵暦。
旧暦明治5年12月2日(1872年12月31日)の翌日を1873(明治6)年1月1日として新暦(グレゴリオ暦)の使用が始まりました。
当時のこよみは小冊子の形のものが主流で、専門の機関のみが発行を許されました。
明治の中頃から1枚刷りのものが流行し、1903(明治36)年には宣伝用の日めくりカレンダーが製造されました。
昭和21(1946)年には暦の専売制が廃され、発行が自由化されました。
その後は日付と曜日だけのシンプルな月めくりカレンダーや、美しい写真付きのものが主流となる一方、電気時計にフラップ式(パタパタ表示)や液晶表示の日めくりが付き、また近年ではWeb上にあらゆる形式のカレンダーが提供されるようになりました。
新暦は季節(太陽の運行)とピッタリ一致していますから、毎年難しい計算をして作り出す必要がありません。その後の日本で「旧暦」とされているものは言わば民間の任意の計算によるものであり、江戸時代までのような公式に発布された暦ではありません。したがって観測や計算の方式の違いによって僅かに異なった暦となることがあります。このページで述べたのは原則の簡単な説明です。
注意:
1873年(明治6年)より前の日本史上の日付(月と日)は旧暦のものがそのまま使われています。ものの本にたとえ西暦何年何月何日と表記してあったとしても月と日の部分は(たいへん不合理なことですが)特別な注記がない限り旧暦のものですので、そのまま西暦の日付であると誤解しないよう注意が必要です。
例えば教科書にある「西暦1837年2月19日」という記述は「西暦1837年に大部分が重なる(旧暦の)年の、(旧暦)2月19日」を意味しています。しっかりとグレゴリオ暦で記述するとすれば「西暦1837年3月15日」ということになるのですが、慣習としてそのようには記述しないことになっているのです。
参考:日本史上の年表記についての問題
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