講師自己紹介 -この教室の来歴について-:小森法孝

 喋ることや発音について興味を持つようになったのは、物心ついた時にラジオに興味を持ったことからだったようです。毎日アナウンサーの物真似をしている私でした。
 中学一年になり、ラジオ(NHK第二放送)の「基礎英語」を4月に聴き始めそびれた私は5月号テキストの発音記号にとまどい、その遅れを挽回するために芹沢先生の説明と外国人ゲストの発音を一年間一言も漏らさず食い入るように聴きました。これで私は毎日発音のことばかりを考えている発音フリークになってしまったのですが、母音と子音の本質的違いを理解できていなかった私は当時のノートに「[z]を単独で発音するときは[u]を補うように発音する。」などと書いています。この不徹底から来る飢餓感のようなものが、ますます私を「発音小僧」にしていったようです。そのうちにさまざまな発音に応じて口の中の舌その他のイメージが目に見えるように浮かんでくるようになって何よりも充実した好い気分になった、そんな変な中学生でした。明解国語辞典のアクセント関係の記述に興味をもって、金田一春彦先生の論文を読み始めたのもこの頃でした。
 高校時代は「ことばの宇宙」や「言語生活」といった雑誌にせっせと投稿して原稿料を貰ったりしていました。大学では井上和子先生に学び、秋永一枝先生に私淑し、卒業後は「発音」を仕事にしたいばかりにアナウンサーになりました。
 その後独立してフリーアナウンサーの仕事以外にアナウンサーの指導をしたり音声学の講師をしたりといろいろやっていたのですが、ある時、一般の方の構音障害に接する機会がありました。指導の結果が良好で感謝されたのですが、その感謝のされ方がどうも大げさに思えましたのでいろいろ調べてみたところ、成人の機能性構音障害は医療、教育、福祉など、どの方面からも全く放置されていることがわかったのです。成人の構音障害は治らないという定説(のようなもの)が原因であるようでした。これが私には理解できませんでした。(アナウンサーの微妙な発音矯正に比べれば機能性構音障害の矯正なんて赤子の手をひねるよりもたわいないではないかと。)
 このことがあってから私の教室は徐々に方向をシフトし、一般の方の発音矯正の仕事に多くを割くようになりました。最初は私はこれは一時の軌道修正であって、専門の指導者が増えてくればそのうちにまた元の方向へ戻そう、自分のやりたいことは他にある、と考えていたのですが、当「東京発音教室」が現在ほとんど機能性構音障害矯正指導専門の状態になっている状況は、これはどうも終らないのではないかと、だんだん思うようになりました。(最初から20年も経った今でも未だに成人専門の診療科も指導施設も他に見あたらない状況なのです。)
 その後、道ですれ違う人や電車で前に座った人の口周りの表情を見ただけでしばしば、ああ、あの発音の問題がありそうだなと考えている自分に気付いてからは、どうもこれが自分の後半人生に用意された新しい課題なのではないかとようやく納得できる心境になってきました。
 機能性構音障害の矯正指導は狭い意味の医療ではありません。ですからもっと重篤な疾患で手いっぱいの医療関係者に対し、機能性構音障害矯正のスキルをなぜ向上させないのかと難詰するわけにもいきません。かといってそれでは音声の専門家である調音音声学者はというと、あいにくその研究環境は、発音の矯正指導というものを自らの仕事として視野に入れることを可能とする状況ではないようなのです。そんなことをやっている暇はないということでしょう。
 考えてみると、発音が好きで発音を勉強し、発音と発音指導を仕事とし、そして今では勤め人の立場の義務がなく、それでいて毎日発音のことばかり考えているという、私のような者でなければこのような仕事をやるはずもないのだろうなと気付いて、なんだか可笑しいような寂しいような、不思議なような気もしてきます。
(日本音声学会会員)

(平成16年山梨県言語障害児教育研究集会での挨拶より)

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